●あるコピーライターの来歴 井之川巨
1 前史
ことばは
傷つき倒れていた。
しかもことばは
飢えていた。
さっきまで共にスクラムを組んでいた仲間たちは
どこへ消えてしまったのだろうか。
傷はいたむし
空腹はさらに募るし
深まる夜とともに寒さも厳しくなった。
そのときだ、ことばに手をさしのべる
救いの女神が現れたのは。
彼女はことばをわが家へ連れ帰り
温かいスープとベットと
傷口をおおう白い綿布を与えた。
翌日からことばは
プラカードの文字を
〝ヤンキーゴーホーム〟から
〝冬物大バーゲン〟に書き替え
盛り場の四辻に立つことになった。
新聞紙の下段に登場し
電車のなかにぶら下がることになった。
なぜなら
彼女の名は〝広告〟だったから。
この日から、革命のプロパガンダは
コマーシャルのメッセージに変身した。
ことばは
コピーライターを志願した。
それはことばにとって
世を忍ぶ仮の姿。
2 テスト
「じゃあ、これから
実技による入社テストをおこないます」
長髪がカッコいいアートディレクター氏はいった。
「課題はこのコップ。
コップのキャッチフレーズを考えてください。
持ち時間は一時間
なるべくたくさん書いてください」
よーい、どん。
さっそく鉛筆を走らせるコピーライターの卵たち。
光るコップ。
美しいコップ。
透明なコップ。
手の中のコップ。
冷たいコップ。
クール、クール、クール、コップ
お口の恋人コップ。
初恋の味、コップ。
健康ですが、コップ。
スカッと爽やか、コップ。
なんである、コップである。
(どこかで聞いたことがあるな)
割れないコップ。
安全なコップ。
頑丈なコップ。
テーブルから落としてみてください、コップ。
熱湯を注いでみてください、コップ。
公害のないコップ。
添加剤を使わないコップ。
ボクの友達、コップ。
贈答にはコップ。
貰って嬉しいコップ。
信頼のしるし、コップ。
友情のコップ。
愛のコップ。
コップ、コップ、コップ。
コップばんざい。
広告のテクノクラートになるための
第一の関門
3 初対面
シャンデリヤが
ぴかぴか光っているレストラン。
「これが
こんど入ったコップ君です。
コップ広告賞をとった優秀なコピーライターです」
と、ディレクター氏。
「どうぞよろしく」とコップ君。
「まず一言いっておきます。うちの仕事をやって
広告コンペで賞なんかとろうと思わないで下さい。
賞なんかとれなくていい。
うちの商品が売れさえすればいいんです。
売れるコピーを書いてください」
クライアントのエグゼクチィブ氏に
コップ君は初対面で痛烈なフックをくらった。
4 盗む
コップ君は毎日
大量のことばを生産した。
あしたに色鮮やかなカラーテレビの広告
昼に緑にかこまれた分譲住宅の広告。
夕べに暮らしを豊かにするあなたの銀行の広告
ことばの量産作業は
しばしば夜が白々明けるまでおこなわれた。
それは彼が工場で働いていたときにも
なかった経験だった。
昔の仲間に会うとコップ君はいった。
「ふん、どうせ資本主義の尖兵の仕事さ」
そう自嘲めいていいながらも彼は
糸を吐きだす蚕のように
ことばをつぎつぎ吐きだす快感を味わっていた。
インクの匂いも新しい〝作品〟を
せっせとファイルブックに貯えていった。
「工場でボール盤のハンドルを握っているより
やはりおれには向いているようだな」
彼はいった。
「なんていったって
クリエイティブな仕事だからな」
そうもいった。
しかし
コップの容量には限りがある。
ことばを浪費すれば
ことばの貯蔵庫には在庫がなくなってしまう。
そこで手当たり次第
どこからかことばを盗んでくる。
百科事典から盗む。
ことわざ辞典から盗む。
流行歌や童謡のなかから盗む。
新聞から雑誌から
テレビから映画から盗む。
いい替える。
逆さにする。
ばらばらにする。
くっつける。
(そんなときノリとハサミを使う)
顔だけとりかえる。
衣装を替える。
色を替える。
場所を替える。
年代を替える。
性別を替える。
季節を替える。
商品を替える。
メディアを替える。
朝起きてから寝るまでの時
月曜から日曜日までの日
一月から十二月までの歳時
生まれてから死ぬまでのライフサイクル。
すべての素材を一本の物差しではかり
一本のカッターナイフで切り
一本のペンで書きあげる。
整形され
化粧し直し
ドレスアップされた新しい創造の世界が
原稿用紙のマス目のなかによみがえる。
コピーライターに不可能はない!
5 馬
コップ君は書く。
逃げる馬を追いかける。
馬を水飲み場まで連れていき
なんとか腹いっぱい水を飲ませようとする。
逃げる馬とは消費者のこと。
そして売上げ記録に挑戦する。
広告コンペに挑戦する。
あるときは囁きかけ
あるときは大声はりあげる。
一九六〇年代幕開けの新聞を飾る
颯爽たる姿のキャッチフレーズたち。
アラスカの木は二度太平洋を渡ります、ヤマハピアノ。
「人間」らしくやりたいな、トリスウイスキー。
キモノでごめん遊ばせ、東レ。
パリからトーキョーへ、カルダンがやって来た、高島屋。
〈アンネの日〉ときめました、アンネナプキン。
世界のSONY、一二〇ヶ国に。
国境のないカメラ、キヤノン。
十秒間で美しい写真ができる、ポラロイドカメラ。
堀江君が帰ってきた…おめでとう〈マーメイド号〉、シキボウ。
桂離宮も見ました、キヤノンも買いました。
シャーベットトーン、資生堂口紅。
価値あるアリナミン。
スカッとさわやかコカ・コーラ。
ハンコよりあなたです、三菱サイン預金。
今日から複写革命が始まる、富士ゼロックス。
世界に羽ばたく日本をうたい
商品が奏でるロマンをうたい
広告がひらく地平をうたう。
街をゆくとき
コップ君が着るカルダンスーツの肩は
確かに風を切っていた。
6 愛
コップ君は砂に書く、愛という字を
それを読むのはかもめだけ。コップ君は手紙に書く、愛という字を
それを読むのはあの人だけ。コップ君は広告に書く、愛という字を
それを読むのは百万の人びと。
広告の愛は刈りこまれ化粧された
みごとなタイポグラフィー。
ディレクターのコンセプトの軌道のうえで
デザイナーのテクニックで磨きをかけられ
クライアントの笑顔で公認された愛。
愛はプリントされ電波にのって
日本中の家々のドアをノックする。
トントン、愛しています。
トントン、愛してください。そんごくうの如意棒の先から誕生する
そんごくうA
そんごくうB
そんごくうCのように
複製の愛は
日本中の規格サイズのドアをノックする。
トントン、愛してます。
トントン、愛してください。
それはしかし
コップ君がかつて砂のうえに書いた愛
あの人と二人だけの心に刻んだ愛ではない。
7 空気
朝、目を覚ますと
蒲団のなかで新聞を読む。
読むのは下段から、つまり広告欄を先に読む。
それからニュース見る。
実はニュース欄だって広告とあまり違いはないのだが……。
高級官僚をスポンサーにしたPR記事。
大企業をスポンサーにしたパブリシティ。
コップ君がつくった広告のタイアップ記事も
今朝の新聞の片隅に光っている。
朝食をとりながらテレビを見る。
番組の間はおかずを眺め
CMタイムにはブラウン管を見つめる。
電車に乗ると中吊り広告を見る。
街をゆくときは看板やウインド広告を見る。
タクシーに乗る、車内広告がある。
デパートに飛び込む、POP広告がある。
商品を買う、パッケージも広告だ。
喫茶店にはいる、持ってきたカップも
マッチもレシートの片面もみんな広告だ。
外へ出れば
空には今日もアドバルーン。
広告、
広告、
広告、
……。
ああ、日本列島の空はまさに
酸素と窒素と
排気ガスと
広告でできている!
8 会議
「それでは
これから会議をはじめます。
今日の議題は〝明日の広告王国をめざして〟」
どうしたらもっと広告を見せられるか。
広告に感動させられるか。
商品を買わせることができるか。
企業の思想を普及することができるか。
それには━━とA君。
テレビ番組はすべてスポンサーつきなのに
なんで新聞記事にスポンサーがついていないのか。
これをテレビ並にすることだ。
新聞だけでなく雑誌にのる論文や小説類もまた然り。
それよりも━━とB君。
もっと新しいメディアを開発することだ。
たとえば道路も街もメディアだ。
山や川もメディアだ。
広告とは環境のことである。
富士山にシンボルマークを印刷できないか。
太平洋をコーポレートカラーで染められないか。
青空にだって、白い雲にだって
地球そのものにだって
太陽にだって広告できるはずだ。
もっと身近なところで━━とC君。
人間そのものがメディアだ。一億日本人をすべて
メディアとして買いきることだ。
そのトレードキャラクターには━━とD君。
天皇をスカウトすることだ。
天皇と同じ朝食をどうぞ。
天皇のフォーマル・ウエアをあなたに。
天皇のロールス・ロイスが当たる。
天皇と一緒にハワイへ行こう。
なんてったって天皇は日本一のスーパースターだからな。
プレミアムにだって
イベントにだって使えるぜ。
ぼくが思うに━━とK君。
メディアは脳細胞それ自体だ。
だからこれにX線、ガンマ線、
ベーター線、アルファ線をミックスさせて
直接情報を送り届けることだってできる。
脳波を操作する。
睡眠中にインプットする。
すると彼は目を覚ましたとき
きっと広告商品を食べたいと思うだろう。
コップ君は鼻毛を抜き抜き思った。
広告界にはなんと
ヒトラーやゲッペルスのエピゴーネン達が
多いことだろうか、と。
9 自殺
ある日の朝
こんな新聞の見出しが目にはいった。
━━「のんびり行こうよ」破産。
「夢がないのに夢売れぬ」と遺書。
テレビのディレクター自殺。
テレビCM界の鬼才とうたわれた
杉山登志、三十七歳。
場所は東京赤坂のマンション自室。
遺書にはこう書いてあったという
━━リッチでないのに
リッチな世界などわかりません。
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなど……とても。
嘘をついてもばれるのです。
モービル石油の
資生堂の
トヨタ自動車の
イメージビルディングに貢献した
ひとりの男の死。
自分の死までが
秀れたコマーシャルメッセージになっているのが
コップ君には悲しい。
10 罪悪
ある日
新聞の片隅に小さく並んだ活字。
「不動産会社倒産」
しかしその不動産会社の広告は
先月までその新聞に
大声をはりあげてはいなかったか。
しかもそのコピーを書いていたのは
他ならぬコップ君自身ではなかったか。
またある日
新聞に恥かしそうに並んだ活字。
「メーカー欠陥商品を回収」
そのメーカーの広告キャンペーンは
いままさにコップ君の手で
企画書として書かれつつあるのではなかったか。
「実際に使ってみたけど
うちの製品はあまり良くないんだ。
しかしそんなこと書いてもらっちゃ困るよ」
とクライアント氏。
「イメージを売ろう。
欲望を刺激しよう。
消費者のライフスタイルを広告がつくるんだ」
と広告代理店のAE氏。
広告学校で習った
アイドマの法則というやつ。
A attention(アテンション)
I interest (インタレスト)
D desire (ディザイアー)
M memory (メモリー)
A action (アクション)
AE氏の話を頭上に聞きながら
コップ君はスケッチブックにいたずら書きしていた。
A 愛してますなんて
I インチキいいながら
D だまして
M もうけるなんてもう
A あきあきです
11 激突
ことばは
累々と横たわっていた。
ことばは手足をもがれ
目や耳を失い
暁闇のなかに倒れていた。
いつまで待っても
やさしく手をさしのべる女神は現れてくれない。
ことばの隊列は
どこへいってしまったのだ。
遠くで喊声をあげる気配がある。
戦闘をくりひろげる気配がある。
広告のことばと反広告のことばの激突!
味方はどこだ。
敵はどいつだ。
ああ、世界を忍ぶ仮の姿ではなく
ほんとうに復帰すべきおれのことばの原隊は
いったいどこにあるんだ。
(詩集「死者よ甦れ」より)
※尖兵=せんぺい、喊声=かんせい