ジョーの獄中詩 川口五郎1

雨降り
俺は 小学生のころ
雨の降る日
学校へ行くのが嫌だった
学友は
みんな新しい長靴・コオモリ傘を
さして登校してくる
だけど俺には長靴はなく
穴のあいたボロボロの運動靴
やぶれていて骨のおれている番傘
みんなにジロジロみられ
小さくなって学校へかよった
雨降りには
みんなお母さんがむかえにくる
俺にはこない
小学校のころの雨降りには
こんな思い出しかない
寿共同保育の子らも
俺のような思いをして登校しているのかな~!
あの子らには
俺のあじわった
はずかしさ
悲しさは
させたくないな~!
と思っても何もしてあげられない
俺にできることは
子らの悲しさはずかしさを分かり
負けないようにはげますだけ
今は
それすらも獄中にいてできない
ただ俺の小学校のころの
悲しい追憶を追うだけ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
横浜寿町の日雇労働者、拘置所から発信した詩が1979年12月に『川口五郎詩集「ジョーの獄中詩」』として発行された。
これは1990年から95年まで大阪西成萩之茶屋(釜ヶ崎)
から全国に向けて発信した、無審査掲載誌の「寄場詩人」に掲載された作品である。
ブログ掲載に先駆け西成の労働福祉センターで毎週火曜日朝5時から発行されている「働き人のいいぶん」に連載されている作品である。


NO WAR!!
私が今ここで
どういかされているのこか
どういうことを考えたいのです。
あなたと、ともに。
自由にうたえるように。
2003年4月5日
のえ





私の手帳からの発掘物件
のえ記念文化住宅の写真集から写し取った。
長居公園だったのだろうか、演奏の写真に添えて書いてあった。

マヤコフスキーと言うべきか 
       井之川巨2

おれたちは怒っている
おれたちは怒っている
おれたちの仲間・労働者を殺した
少年たちの歪んだ笑い声を怒っている
少年たちを教室の窓から追い落とした
教育の倫理を怒っている
少年たちを公園や地下道の清掃人に育て上げた
家庭の愛を怒っている

おれたちは怒っている
人権教育の徹底
教師の自己研鑽
愛情ある教育をうたい
少年たちをいよいよブロイラーなみに
管理しようとする
市教育委員会を怒っている

おれたちは怒っている
入院中に労働者に一万円
遺族には三万円
人間の命を
バーゲンセールの背広一着に見たてた
横浜市当局を怒っている

おれたちは怒っている
天皇の戦争責任
総理大臣の犯罪には沈黙を守りつづけ
少年たちの暴力には
チャンス到来とばかり
ただちに道徳教育を対置しようとする
文部省を怒っている

おれたちは怒っている
非行集団の解体と補導強化
環境浄化作戦
“少年を非行から守る日”の設置
と矢つぎばやに唱え
そのじつ国家暴力によって
少年たちを再び起ち上がれないほど
弾圧しつくしてしまう
警察を怒っている

おれたちは怒っている
浮浪者、労務者、プータロー
落ちこぼれ、はざまの子と
レッテル貼りに夢中で
差別の傷の深さを見届けようとはせず
差別をさらに拡大再生産する
マスコミを怒っている。

おれたちは怒っている
憲法の改悪を準備し
日本とアメリカの運命共同体
日本列島を浮沈空母といいなし
軍事大国化への道
戦争へのいつかきた道をコンクリートで舗装する
大量殺人の仕掛人
中曽根政権を怒っている

おれたちはもともと争いごとは嫌いだ
人を踏みつけ
人を突きとばし
人の上に立って
人よりいい暮らしをしようとは思わない
人を踏みつけにするくらいなら
人に踏みつけられたほうがまだいいと
その日まで
おれたちは思っていた

アオカンをしていた夜ごと
おれたちの瞳にうつっていた
大熊座、小熊座、オリオン座、カシオペヤ座など
満天の星のまたたき
おれたちの耳をくすぐった
蚊の羽音
遠洋航海の船の汽笛
恋人たちの遠ざかる靴音
そしていま
星たちは消えた
潮騒は鳴りをひそめた

おれたちが
殺された労働者でなかったこと
おれたちが
殺した少年でなかったことは
ただの偶然にすぎない
仕事を奪われた労働者
教室から疎外された少年
ともに侮辱(ブジョク)され差別されたもの同士
少年はきのう
友達にやさしかった
労働者はけさ
道端に咲く白い花に足をとめた
その労働者と少年を
いがみ合わせた者がいる
労働者と少年のあいだを
死によって引き裂いてしまった者がいる

少年は
差別社会をそっくり映しだす
精巧な鏡だ
  人類はみな兄弟
  親を大切にしよう
  街をきれいにしよう
少年は
公園をきれいにすれば
つまり浮浪者を屑篭に捨てれば
誰かに褒められると思った
そして少年は
労働者の生命とともに
少年の自分に昼と夜をも殺してしまった

少年のおどけた顔
かなしい顔
ふてくされた顔
徒党をくんで
無抵抗の労働者に襲いかかる
少年たちの顔は
ファシスト予備軍のこわい仮面の顔

おれたちが口惜してならないのは
少年たちが
攻撃する相手を
間違えてしまったということだ
労働者はかって少年だった
少年はやがて労働者になるだろう
そのとき少年は
攻撃すべき相手が
足もとにではなく
自分たちの頭上にいることを発見するだろう
かって少年だったおれたち労働者は
この日から
踏まれたら踏みかえす
やられたらやりかえすと
決意をあらたにせずにはいないだろう

1983.3.20横浜「浮浪者」連続殺傷・差別糾 弾・追悼集会で朗読
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
以下、井之川さんの著作
◎詩があった! 一葉社
◎新・日本現代詩文庫17 土曜美術社出版販売
◎偏向する勁さ 一葉社
◎君は反戦詩を知っているか 皓星社
◎詩と状況おれが人間であることの記憶 社会評論社


これは1990年から95年まで大阪西成萩之茶屋(釜ヶ崎)
から全国に向けて発信した、無審査掲載誌の「寄場詩人」に掲載された作品である。
ブログ掲載に先駆け西成の労働福祉センターで毎週火曜日朝5時から発行されている「働き人のいいぶん」に連載されている作品である。


JR新長田駅から直ぐの公園の造られた鉄人28号がついに動きだした。


マヤコフスキーと言うべきか
        井之川巨1

越冬闘争の詩

冬がきた
奴は
木枯らしをびゅんびゅん吹きながらやってくる
奴は
おれたちのパンを吹き飛ばし
コートや毛布を吹き飛ばしながらやってくる
奴は
アブレ地獄、ケタオチ飯場、保安処分
飢え死にや凍死をつれてやってくる
だが、おれたちは
やられたらやりかえす

おい兄弟!
詩ってなんだが知ってるかい
奴らを阻止するおれたちの言葉
奴らに反撃するおれたちの言葉
おれたちを奮い起たせるおれたちの詩

おれたちは子供のころ
おふくろから乳と言葉をもらって育った
あまり出のよくない乳と
教科書には載っていない言葉だったが……
おれたちはいま
労働者の中からきょうのパンと
あすをひらく自から闘いの言葉を獲得した
おれたちは
奪われた言葉はかならず奪いかえす

ことしも厳しい冬がきた
おい兄弟!
びゅんびゅん吹きまくる奴のゆくてに
おれたちの生命の言葉をあかあかともやせ
凍てつく冬空に
おれたちの怒りの言葉をするどくみがけ
詩はおれたちの労働者のあつい友情のしるし
敵にたいしては情無情の攻撃武器だ
(1987.12.27山谷越冬闘争突入集会で朗読 原始人22号より)

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
その本をどうして知ったのは忘れてしまった。井之川さんたちが出していた「原詩人」という季刊の詩誌を私は横浜寿町で心待ちに書店に足を運んだのを覚えている。
アンダパンダと呼ばれる。投稿したら必ず掲載してくれる無審査掲載の詩誌で私にも分かる詩が掲載してあった。もちろん私も投稿し、掲載を楽しみにしていたのだ。
(マヤコフスキーはロシア革命期に人民を鼓舞した詩人)


これは1990年から95年まで大阪西成萩之茶屋(釜ヶ崎)
から全国に向けて発信した、無審査掲載誌の「寄場詩人」に掲載された作品である。
ブログ掲載に先駆け西成の労働福祉センターで毎週火曜日朝5時から発行されている「働き人のいいぶん」に連載されている作品である。






天王寺からJRの環状線の内回りに乗って、天満駅のホームに入る直前に外回りの線路の脇のビル(国労大阪会館)の壁面にあった。
いっからあったのだろうか、今日始めて見つけた。

私は集い中は写真とれなくて、こんな写真しかありません。 これが「なめ憲」自慢の宣伝リヤカー

集いの委細は「なめ憲」のブログへ。
http://nameken9.exblog.jp/
●●●「沖縄県民大会に連帯する憲法を守る集い」●●●
◎11月8日
午後2時から4時まで
◎大阪市天王寺公園・東口入口前の広場(交差点側)
尚、街宣リヤカーはJR新今宮駅前の労働福祉センターを1時半出発します。
◎なめるな国民を!守ろう憲法!憲法を守る意思表示の会

ブログhttp://nameken9.exblog.jp/
携帯ブログhttp://mblog.excite.co.jp/user/nameken9

以下街頭宣伝リヤカーに掲示するスローガンです。
●沖縄県民大会に連帯するぞ辺野古に基地はいらない!ジュゴンを守れ!
●戦争協力より生きさせろ!思いやり予算を雇用対策にまわせ!
●鳩山首相はアメリカの脅しに屈するな!鳩山政権は沖縄の意思を踏みにじるな!
●米軍は日本から出ていけ沖縄普天間基地の県内移設絶対反対!

寄場のピカイチ詩人 森ひろし3
人間の季節


なんだかんだと
街になじんだ
仕事も
秋風も
ねぐらも吹き寄せ
汚れたおれ
  *
騒動はおこったし
思い残りなく飛んでいった夏
ドヤの窓をしめ
都電通りにでると
風の白い歯
ばさばさ鳴るのは落葉か
おれの労働
  *
降りつづける
ひと雨
ふた雨
街は冷え
三雨には
オケラが鳴き
  *
街の生活



友だちと
くっついたり離れたり
誰もがせかせか
不愉快なやっもいるのだが
話しかけてくるのを
ことわるわけにはいかない
仕事と
飲んべえ仲間が
ぼつぼつと
  *
街の底の
季節がしみる
おもしろいのは花は風にしおれ
朝顔は実になろうとする
路地を抜けるとき
道路には子どもらの落書の
ちいさな家
茶わんが並んでいる
男と女が並んでいる
ふるえたチョークの線も白い
なんだかおれの夢のよう
(「森ひろし詩文集さんや」より)

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
これは1990年から95年まで大阪西成萩之茶屋(釜ヶ崎)
から全国に向けて発信した、無審査掲載誌の「寄場詩人」に掲載された作品である。
ブログ掲載に先駆け西成の労働福祉センターで毎週火曜日朝5時から発行されている「働き人のいいぶん」に連載されている作品である。




大阪から声を上げよう!
米軍基地はいらない!
鳩山政権は沖縄の意志を踏みにじるな!

私達は毎月第二日曜日に天王寺公園で、2時から4時まで憲法を守ろうという集まりを持っています。
今月は今度の日曜日、8日で「沖縄県民大会」に連帯した集まりにしたいと思います。

何時もハンドマイクで公園に集まる人々に訴えています。ぜひあなたも来て下さい、出来たら沖縄の基地についてどう思うか話を聞かせて下さい。
何時も仲間内が中心のこじんまりした集まりです。あなたが参加してくれると嬉しいです。
特に楽器演奏や踊りしてくれると素晴らしいです。

当方ジュゴンは呼べませんが、スローガンを書いた素敵に飾付けたリヤカーや、巨大な「9条改憲やめろ!」横断幕があります。

●●●「沖縄県民大会に連帯する憲法を守る集い」●●●
◎11月8日
午後2時から4時まで
◎大阪市天王寺公園・東口入口前の広場(交差点側)
尚、街宣リヤカーはJR新今宮駅前の労働福祉センターを1時半出発します。
◎なめるな国民を!守ろう憲法!憲法を守る意思表示の会


貧しいことは、恥ずかしいことではない。天下の回りものであるべきお金が、何故か素通りしていってしまうというだけのことである。
しかし、どうしてか、貧しい者は、一段低い見方をされる。貧しい者自身、理由もなく引け目を感じたりしてしまう。
が、人間として理想的な生き方は、名もなく貧しく美しく、だと私は常日頃思っている。
一番無駄がなく、すっきりとした生き方ではないだろうか。
「中略」
沢山の人が名もなく貧しく美しくを心掛ければ、それだけ多くの人が、生きることができる。

山之口泉著「父・山之口貘」より

橘安純

知らぬ土地で住所不定無職
着た切り雀の風来坊生活         
                     山之口貘
寄場のピカイチ詩人 森ひろし2


泪橋を
おれの影が横切っていく
地下足袋はいた
信号機は光る 青と赤
おれの暮らしの交差点
道路標識は踏まれよごされ
どこへ進む 立ち止まらない
日やといのおれの おれの足
仲間の生きていく足 足
泪橋を渡って


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
これは1990年から95年まで大阪西成萩之茶屋(釜ヶ崎)から全国に向けて発信した、無審査掲載誌の「寄場詩人」に掲載された作品である。
ブログ掲載に先駆け西成の労働福祉センターで毎週火曜日朝5時から発行されている「働き人のいいぶん」に連載された。



寄場のピカイチ詩人 森ひろし1

山谷人生
いっぺんくればわかるよ
どん底の街がわかるよ
日やといの労働者の群れを見るよ
なかに入れば感じるよ
みんないい人間ばかりだと
みんな苦しんでいるんだなあと
日のあたらない生活があるよ
汚れた顔とつきあうよ
貧困がやせて鋭いエネルギーを
ふいごのように吹きたてるんだと思うよ
騒動はなぜおこるのか
はげしい燃える人間の抵抗だよ
遊びではなくはいってくればいいよ
山谷がすごく好きになるよ
そして自由をいっぱいもらえるよ
みんな今日を持っているよ
ぎりぎりの生存のたたかいだよ
飾った気持ちはふっとぶよ
社会のしたからずっとうえまでお見通し
太陽はゆがんでいるとおもうよ
これでいいのかとうたぐるよ

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
山谷・寿・釜ヶ崎、労働者の街と呼ばれ寄場とも呼称される。その寄場のピカイチの詩人が森ひろしである。すでに亡くなられている。もしかして東京で詩集が出されているかも知れないが、私は1976年に出された手作りの詩集しか知らない。
私が横浜寿町にいた時分にその詩集を手に入れた。青い上質紙の表紙に平仮名で「さんや」と大きくかかれてあった。
編集者は山谷で日雇労働運動していた原田三好で、彼はその後寿町で外国人労働者を支援する「カラバオの会」を担っていた。
「森ひろし詩文集さんや」というその本はB5袋とじ48頁で4ミリ方眼のロウ原紙を鉄筆で切ってあった。
頁の上1/3が詩で、その下にぎっしりと文章が詰まっていた。文章は日記の体裁で生活を詳しく書いてある。金銭収支もあり、生活実態、労働環境、時代情況がよくわかる。
次回も森ひろし。(橘安純)

これは1990年から95年まで大阪西成萩之茶屋(釜ヶ崎)
から全国に向けて発信した、無審査掲載誌の「寄場詩人」に掲載された作品である。
ブログ掲載に先駆け西成の労働福祉センターで毎週火曜日朝5時から発行されている「働き人のいいぶん」に連載されている作品である。

平和物件 2009年10月23日
場所 大阪市北区大淀中四丁目15
株式会社タイムス物流の外壁

淀川から解体で低くなったABCタワーを目指して歩いて行く。工場街の一角の運送会社の歩道に面して、日本国憲法9条を書き込んであった。

まだ 生きています。
残念でした 金返せよ!

どうも どうも すいません。
ごぶさた ごぶさた しています。
四国で のたれ死にの つもりでしたが。
いま大阪におります。

総選挙が始まったので大阪で選挙運動していました。
憲法守る人に投票しようと訴えていました。

そして来年5月から発議の可能性のある憲法改正のための国民投票法に賛成した自民党を政権から引きずり落としました。
民主党は国民投票法を廃止せよ!

昨日は今治の四国88ヶ寺第59国分寺を参拝して終わった。そうして、休暇村に密かに潜入して一夜を過ごした。

6月29日荷造りをして、さあ出発しようかと思っていたら、雨が降りだした、そのうち本降りなった。

びしょ濡れ覚悟で歩くこともできず、また昨日から雨が降りだしたら、雨宿りしておこうと考えていたので待機を決め込んだ。
そこで横になり、そのうち寝ていた。

気がついた時、雨は上がっていた。
もうふりそうもない。昨日も予報に反して雨は早朝だけだった。急きょ8時過ぎになって出発することにした。

毎日、日射しで汗だくになっていたが、今日は違う。
異常に蒸し暑い汗が絶え間なく湧き出てくる。空は曇って太陽は出ていないが汗が吹き出る。
歩くのに勢いつけるため、唄をうたったり、詩を朗読したりしていた。
そのうち顔施の事を考え出した。声をだし笑ったり、笑顔を作ったり、歩きながらしていた。

通りすぎて、パンでも買っておこうと思った。前向いたまま、後退りしながら小さな食料品店の硝子戸を開け、パン有りませんかと言いなから店に入った。。
大きな荷物にを背負ったまま、窮屈に店を物色した。買いたい物は余り無かったが、菓子パン二つとキャラメルコーンを買った。それで300円払った。パンは120円はすると思うんだけど。
店主と話し込んでいたおばさんがリポビタンDを一本接待ですと言ってくれた。

電動シニアカーに乗ったおばさんがこちらに向かってくる。停まって手元で何かしている。
私は「おはようございます」と言う。
おばさんはお接待ですと言って50円玉を下さった。

しばらく行っていると、後ろから大変ですねと声をかけられた。そこで接待しますと言われ、酒屋の中に入られた。
何にしますかと言われた。昼間からビールとも言えない。自動販売機で100円の安売り表示してあるのを見てコーラを下さいと言った。
声をかけてくれた女性は酒屋の人らしい。
男の人が出てきて自動販売機からコーラを二本袋に入れて私に手渡した。

思いがけない接待で気分ルンルンになって足どり軽く、道も少し下り坂で勢いついたのかも知れない。

そろそろ昼近くなる。店屋は何軒かあったけど飯屋はなかった。
何処かでさっき買ったパンで昼飯にしたいけど、このへん住宅街で座わる場所もない。
下り坂で足どりは軽い、こんなことで昼飯が何時も遅くなってしまうのだ。

そんな時、住宅街の一軒の垣根のない玄関さきに「お遍路さん接待所 お気軽に茶をどうぞ 鈴なる」の看板が出ていた。
そして長椅子とテーブルが設えてあった。
そこでさっき買ったパンで昼飯にした。時刻を確認するとちょうど12時を過ぎたところでした。

食卓を片付け、荷造りをしていると、そこの主人がお出かけになる。
私がお礼を言うと、彼は何か作りましょうと家の中にもどろうとする。
私は食事は終わりましたからと断った。
ご主人は言った、四国では何処でも優しいです。スーパーに居れば残った物をもらえますよ。等と話された。

道々、挨拶して交わされた言葉。
今日は蒸し暑いですね!
雨上がって良かったですね、歩くには丁度よいですね(日射しがなくて)!
ようお参り!
と声をかけられた。

今日は四国八十八ヶ所のお寺ではなく別格二十霊場をニヶ寺目指している。
今は別格10番の西山興隆寺目指して歩いている。
いよいよ上り坂になってきた。そのころから雨が降り始めた。私は傘をさした。ザックには朝から雨避けの防水カバーをしている。
雨は時に激しくふり、足元を濡らした。カッパをはけばはいたで蒸して濡れてくるので、この日はカッパを着ずに傘をさすだけだった。

全く、登り口になって雨が降りだした。長い本堂までの階段、値打ちのあるお詣りである。
(寺の様子省略)

興隆寺を下山し、次の寺に向かう間違えて別の方向に暫く進んでしまった。
それでも納経(帳面に朱印墨書もらう)に間に合った。別格11番生木地蔵を参拝した。

寺の境内に商店街と書いてあったので、それを頼りに雨の中を買い出しに向かった。
確かに商店街を示す街灯は続いているのだが、なかなか商店が見えない。
1キロ位は歩きやっと店があらわれた。スーパーがあった。開いてはいなかったが銭湯もあった。開いている食堂を見つけた。
上がり間口に荷物を下ろし、何となく冷たい視線と感じながら腰を下ろした。食堂としているが夜は飲み屋になるようだった。
カウンターにはゴルフコンペ帰りの男たちが酒を飲み哄笑していた。

私は700円の唐揚げ定食を頼んだ。
私が食べていると店の女性が、これ荷物にならないでしょうからとあめ玉を袋に入れてくださった。
会計の段になって、先程の女性の母君らしい人が出てきて遍路の話をした。
今日は何処に泊まるのと聞くので、丹原公園の東屋と答える。遠いじゃない。来るときに見えたもんで。

お寿司もって行きなさい、ちらしといなりどっちが良い。
とお稲荷さんをもらった。さらに空に成っていたペットボトルにお茶を詰めてくれた。
私は非常に恐縮して、今回始めて私の納め札を差し上げた。
最後に私は甘えて、捨てられなくて持ち歩いていたゴミを捨ててくれるようにたのんで渡した。

その後、私は時々激しくなる雨の中、2キロ程戻り公園の東屋にテントを張って寝た。

その晩、別口の大量の差し入れもあったが、それは言及しないでおく。
とにかく今日は接待を受けることが多く、遍路している有り難さ感じた一日であった。

四国彷徨
09年6月14日

四国の海岸線に沿って右回りに歩いている。
昨日、愛媛県宇和島市津島町に入った。

ゲートボール場の掘っ立て小屋の長椅子の上に寝た。この先の公園に行こうと思っていたのだが良い場所を見つけた。野球場やサッカー場に隣接していて、立派なトイレが有ったのだ。
その障害者用トイレで顔と足を洗い、身体を拭いた。毎日汗だくだくに成りながら、そのままだったのだ。三日は汗だくの同じシャツを着ていた。
そして汗臭い服を着替え、脱いだ服を洗濯した。
さらに、そのトイレにはコンセントがあり、じゅっくりと携帯電話の充電が出来た。

夜が明けて公園に来た。前に津島を通った時も「東レク」という標識だけは目に入っていた。わざわざ行こうとは思わなかった。
「津島プレーランド」とも「東レク」とも呼ばれるその公園、大規模で木陰が多い。人間が大ゲージの中に入って鳥を見るバードアイランドと言う施設がある。(無料)ゴーカート場がありこちらは有料だ。おまけに日曜日だというのに広い公園、人が見えない。

津島に来たら「東レク」に行こう。ここが常宿になりそうで早々



土佐清水市 足摺岬西岸 大浜、中浜などでみられた。
漁業で使われていた浮きを利用して作られている。

世界は平凡か?
未来は退屈か?
現実は適当か?
安心しろ
それでも
生きることは
劇的だ!

(少年ジャンプ「めだかボックス」)

お寺の門前の掲示板を見ていたら、漫画から取ってきた言葉だったんですネ
普通は格言集から写すだけなんですけれどネ
良い感性している住職ですネ

土佐清水市 浄土宗蓮光寺の掲示板より


陽射しをさけて松林の中にシートを敷いて寝っころがる。松の間から砂浜に砕ける波とサーフィンする若者がみえる。

昨晩、12時ごろ目を覚ますと、月に照らされた波打ちぎわを大勢の人が歩いていた。ウミガメの保護活動かなと思った。
朝早くから海岸を散歩していた。6時に前に波打ち際ぎわを、こちらに向かい歩いてくる人がいる。
ゴミ拾いかなと思った。近づいて来ると、右手に何か棒様の物を持っている。貝でも取っているのかと思った。
聞いてみると、ウミガメが産卵していないか探しているとの事。
普通は深夜に産卵するんだけれど、まれにに朝方に産卵するので、その卵を掘り起こして孵化場で保護するそうだ。

のんびりして携帯で文章を打っている。歩き出す気はなくなってくる。急ぐことは何もない。
しかしだな、予備のバッテリーは空で、充電器の充電も切れ、通信根絶の危機である。
宿にはなかなか泊まれない。この前、発見したのは手をかざすと水が出る蛇口、あれはコンセントから電源取っているんだよ。道の駅でこの方法で充電したことある。

雨降らないと気まま生活。今日はこのまま潮風に当たって寝ていても良いな。
悔しかったらコメントしろ
橘安純

何ごともなかったかのように
今朝も太古から繰り返えされてきたように
太陽は登った


高知ではどこでも鯨をシンボルマークにしている。
今日の通過した港ではホエールウォッチングを宣伝していた。

黒潮町入野の中心街入る直前の√56道路脇にあった公衆電話ボックスの上を飛ぶ勇姿。

雨あがって空あかるくなってきた、と思ったらまた雨が激しくふりだした。
ここ何日か人生を濃縮したような天候。
昨日だって、雨やんでカッパ脱いだら又雨降りだして、天気も思うようにはいかない。

今朝は四万十町の七子峠から歩き。激しい雨の中、37番岩本寺をお参りした。それから√56を南下、何度か古道に入り山道を歩く。
やがて黒潮町にはいる。今日の寝床の当ては全く無かったが、ひたすら歩いた。

あてなく歩いていたら、まだ明るい6時頃、伊与喜天満宮の看板があった。
急な階段を登ると、そこに東屋と小ぶりの拝殿。拝殿に鍵は掛かって無くて、六畳間ぐらいの板間、ゴザが壁に立てかけてあった。
結果、四国のみちの東屋にテントを張って寝た。

あてが全くなかったのに、あるいて歩いて、突然あらわれた今宵の寝場所。
良かった感謝。橘安純

変圧器をそのまま使ったポスト


09年6月1日
高知県立坂本龍馬記念館の庭にあった。
さっそく塩吹きさせてみた。

09年6月1日

写真は昨晩寝たコテージ。

昨晩は高知の「種崎千松公園」に泊まった。川をはさんで隣が桂浜だ。砂浜に面した展望デッキにテントを張った。
この公園は海水浴場でありテント場としても公認されていて、バーベキューをやっても良いらしい。屋根つきのカマドがあり薪を燃やすこともできる。
立て札には「但し長期は困ります、一週間程度まで」としている。
今はゴミ箱を置いていない所が多いが、ここはゴミ箱が数多く置かれており旅行者にはありがたい。炊事用の水道もあり、洗濯するのにも便利である。

松林の中にはブルーシートを張ったらテントがある。定住している人もいるらしい。


今日のお地蔵さん 寅さん地蔵
√55、安芸市伊尾木
国道から少し北に入ると、有名な渓谷、伊尾木洞があり、そのそばにある。
寅さん、渥美清が死んでから造られ本人はご存知ない、本人が知ったら断るのではないか・

日本全国で寅さんシリーズに出ていない県が富山?と高知だけで、高知県に映画を誘致し、「男はつらいよ49作寅次郎花へんろ」の撮影が決まった。
ところが撮影前に渥美さんが亡くなられたてしまった。

そんなことがあり、誘致に動いていた人が、寅さんを偲んで地蔵さんを設立したそうだ。

じつは、この彩色寅さんの隣に、多分本当の寅さん地蔵が鎮座している。派手なビジアルに見ばいで偽物の方を載せた修行たらずの私です。
本物の寅さん地蔵は、この三倍程の高さで、彩色されていない。
寅さん地蔵の御利益は「旅の安全、縁結び」だそうです。


【5月28日】
室戸の風ふきつける、雨ふりかかる。
住所は旅人にて分からず。


人形が空を飛んでいるではないか・
人形ではなくて人魚でした。

“おっぱい”があまりにも、なまめかしくて、恥ずかしいです。